コーヒールンバ
“コーヒールンバ”と言ってもコーヒーの香りを放ちながらお掃除するロボット掃除機のことではありません。♪コーヒールンバという歌の話 です。1961年に西田佐知子が歌って、その後は1992年に絶頂期の荻野目洋子もカバーしている名曲。そんでもってこの歌詞が、あの井上陽水もカバーしちゃった!ってくらいブっ飛んでいます。
♪コーヒールンバ(作詞家・中沢清二)
昔アラブの偉いお坊さんが 恋を忘れた あわれな男に
しびれるような香りいっぱいの こはく色した 飲みものを教えてあげました
やがて心ウキウキ とっても不思議このムード たちまち男は若い娘に恋をした
コンガ マラカス 楽しいルンバのリズム
南の国の情熱のアロマ それは素敵な飲みもの コーヒー モカマタリ
みんな陽気に飲んで踊ろう 愛のコーヒールンバ
作詞した中沢清二氏は1960年代当時(インスタントコーヒーが出始めた頃)の日本人のコーヒーに対するエキゾチックなイメージをそのまま表現したらしいですが、初っ端から“アラブの偉い坊さん”って、だれ?アラビア語を話す仏教徒?めっちゃ少ないし、常識的に考えてイスラム教ってことになると、イスラム教で坊さんは居ないだろ!って話。コーヒー=アラブって発想もなぁ・・・今でこそブラジル、コロンビアとか南米とかアフリカのイメージが強いですけど、当時はコーヒーと言えばアラブだったんですかね?アラブって言ったらアラビアンコーヒーだから日本では一般的じゃないですよ。“しびれるような甘い香り”→“心ウキウキ”この表現もおかしくない?おそらくカフェインの効果でウキウキってことなんでしょうけど、でもカフェインは体の内部を活性化させるので逆に鎮静効果があるんですよ。つまりウキウキな気分を抑える方「とりあえず、落ち着こう!」みたいな。
“コーヒーモカマタリ”ってのはイエメンのコーヒーらしいので舞台が中東なのは間違いなくて、“モカ”ってのはイエメンの港の名前だそうで、モカ港から出荷されたイエメンのコーヒーのことをモカマタリ、エチオピア産だったらモカハラーとか呼ぶらしいです。私なんぞは“モカ”と聞くと甘くて飲みやすい印象のコーヒーを思い浮かべます(←この認識もド素人ですね(>_<) 目新しい嗜好品のコーヒーっつーことで、最後は“みんな陽気に飲んで踊ろう”って、もうほとんどお酒じゃん(苦笑)。どうも酔っぱらったノリで、知っている言葉を並べ立てて書いただけのような歌詞だし、そもそもこの歌のリズムは“ルンバ”じゃないみたいです。そんな勢いだけで書かれたような歌詞だとしても、これからも様々なシーンで歌われていくほどの名曲として、未来永劫(大袈裟)残っていくんでしょう。つまり、時として“勢い”が功を奏すこともあるワケで、悩んでいても分からないことは「えいやぁ!」ってやっちゃっうことも大事なんだと、この歌は教えてくれてます(ちがう!ちがう!)
因みに原曲はベネズエラの歌らしいですから、中東から南米へひとッ飛び!原題は『♪コーヒーを挽きながら』。内容は以下です。
午後の生まれ変わる日差しが弱まり暗くなる頃
静かなコーヒー農園の静けさで感じるのは
あの悲しい歌(あの歌声はなに?)
古い工場の悲しい愛の歌がまた聞こえる
うつろな夜 片思いにうめき その愛の悲しみ
マヌエルはサンボ(zambo)を切ない気持ちにさせる
疲れ果てた夜 コーヒーを挽いていた
こちらはしみじみとした恋の歌。マヌエルという女性に片思いしているサンボ(先住民と黒人の混血)がコーヒーを挽くという話。いやぁ、情景描写が切ないわぁ。ノリだけで書いたような歌詞の歌謡曲バージョンも切ない歌詞の原曲も、テンポは同じくリズミカルです。
<ついでにバッハとコーヒーの関係を石川太郎アナウンサーのブログより抜粋>
1730年頃の話。音楽の父と呼ばれるバッハが『コーヒー・カンタータ』という曲でコーヒーに夢中の娘・リースヒェンを戒めていますが、この歌詞がなかなか面白い!
♪10代の子供ときたら頭痛のタネ 無数の厄介事のもと!
日ごと 娘のリースヒェンに説教し続けて 私はもう ふらふらだ
ところがリースヒェンときたら 分っちゃいないのだ
リースヒェン まったくこの不良娘め! ちょっと来なさい!
お前は行いを 正そうと思わんのか そのコーヒー狂いを やめないかっ
♪愛する父よ そんなに怒らないで頂戴 朝に 夕に 一杯のコーヒーを飲まなきゃ
私、干からびたおばあちゃん山羊みたいになっちゃうわ
ああ!千回の接吻よりも素晴らしく マスカットのワインよりも かぐわしい
ああ!コーヒーに賛美を ああ!無上の幸福
ああ!コーヒー ああ!かぐわしいコーヒー コーヒーを飲めば 元気になれるわ♪
しかし、千回の接吻よりも素晴らしいって、どんだけだよ!
コーヒーは1516年にアラブ地域を占領したオスマン帝国がヨーロッパに持ち込んだことで、ローマ(1602)、ベネツィア(1615)、オランダ(1618)、イギリス(1641)、パリ(1657)、ドイツ(1670)と伝播。バッハの居たドイツではコーヒーブームのせいでお家芸のビール産業が大打撃を受け、コーヒー豆の多大な輸入による貿易不均衡が問題となり、時の王・フリードリヒ2世が「コーヒー条例」を出して外来の飲料に高関税をかけるに至ったそうです。
当時は絶対的な男社会だったヨーロッパでは、高価となったコーヒーを女性に飲ませるべきではないという風潮にあり、イギリス・ロンドンでコーヒーハウスが女人禁制となったように、バッハの生きたドイツでも、「飲むと不妊になる」などと言っては女性のコーヒー嗜好を戒める雰囲気に満ちていたという。娘のコーヒー好きを嘆く父親の背景には、こうした社会情勢があったとのこと。
バッハの遺産リストには楽器や楽譜と共に5つのコーヒーポットとカップ類をも記していたんだそうです。因みに楽聖ベートーベンもコーヒー1杯分に豆を60粒正確に数えるという本人創意の独特の手順に従って、いつも正しくコーヒーをいれていたとのこと。コーヒーってほんと、底が知れないなぁ。